眼科医 大高 功です。

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右は手術中の写真です。病院に勤務している時代のものです。

まんなかで、下の先生に手術を教えているのが私です。腕を組んでいるのは、手がどこかに触れて不潔にならないためなので、態度がえらそうなわけではありません(つもりです・・・)。

この写真、顔がわかりませんね。顔は横浜相鉄ビル眼科医院のHPをごらんください。

経歴

1967年(昭和42年)  3月29日生まれ

1973年(昭和48年)〜1979年(昭和54年) 京都市立松陽小学校

1979年(昭和54年)〜1982年(昭和57年) 私立洛星中学校(京都市内)

1982年(昭和57年)〜1985年(昭和60年) 私立洛星高校

1985年(昭和60年)〜1987年(昭和62年) 大阪北予備校

1987年(昭和62年)〜1993年(平成05年) 慶応義塾大学医学部

1993年(平成05年) 慶応義塾大学医学部眼科学教室入局

1993年(平成05年)〜1994年(平成06年) 慶応義塾大学病院眼科

1994年(平成06年)〜1996年(平成08年) 亀田総合病院(千葉県鴨川市)眼科

1996年(平成08年)〜1998年(平成10年) Miami大学医学部付属 Bascom Palmer Eye Institute

1999年(平成11年)1月〜 静岡赤十字病院眼科、平成14年4月から医長

2004年(平成16年)4月〜 横浜相鉄ビル眼科医院院長

資格

医師免許、日本眼科学会認定眼科専門医、

普通、大型自動車免許(大型バスの中で眼科、というのもおつかも?)

大型自動二輪免許(昔の、1発試験のみの難しい時代にとりましたが、練習しないでいきなり受けに行ったので、12回落ちました(^_^;))

私の医師としての心がけ

私は自分自身が患者(学生時代には飲みすぎでめちゃめちゃ体壊したりしています)になった過去の体験もふまえ、以下のことを常に心がけております。

1 どんな症状の人がいらっしゃっても、決して気のせいだ、で片づけないこと。なにか原因があるはず。(病院は基本的には行くのが嫌なところ。忙しい現代人、気のせいとかで、わざわざ嫌な病院に行きませんよね。医者に気のせいだと言われると、ほんと腹たちます。昔自分自身、大学病院で「気のせい」と言われてどうしても納得いかずに自分で勉強して他院で検査をお願いしたら異常が見つかった経験あり。)

2 患者さんに完全に理解していただけるまでしっかり説明すること。これ、私は常識だと思うのですが、ちゃんとやらない先生も多いです。めんどくさいのでしょうか?

3 ワシントンにある医学データベースにアクセスし、世界の最新の情報をキャッチし、科学的な診療を行っています。すなわち、うちの病院の習慣だからとか、人がやってるからとかいうことを基準にせず、科学的な裏付けのある事実を基準にして診療を行ってます。世界には膨大なデータがあり、すべては覚えきれませんので、疾患によっては、当面正しいと思われる治療を即座に開始しつつ、最新情報の調査にお時間をいただく場合があります。

4 常に患者さんを自分自身ないしは自分の家族と考え、自分が患者ならもっともしてほしい治療をまずお勧めいたします。しかし、みなさんいろいろ事情がございましょうから、それにあわせて2番目3番目の選択肢をお話しいたします。その中で、患者さんにとってもっともいい選択肢を話し合いながら選んでいきます。患者さんは家族なので、僕は「患者さま」ではなく、「患者さん」という呼び方にこだわっています。家族の幸せを願うのと同じく、患者さんの幸せをいつも願っていますし、良い治療をして感謝されるのが最高の幸せです。

5 昨今、病院のコスト管理の甘さがいろいろと語られていますが、私はぜんぜん違う考えを持っています。私は、個々の治療に関する損益はまったく考えていません。医療に関する費用は公定です。ものすごく手がかかるのに儲からない治療もあれば、楽で儲かるものもあります。なので、個々の治療の損益よりも、1人1人の患者さんにできうる最高の医療をして、トータルな結果として病院が運営していければよい、もしそれもできないような仕事ならやめてしまうべきだ、と考えております。コスト意識が甘い、なんて言われても、自分の治療でコストをケチられるのはかんべんしてほしいですよねぇ(~_~;)。なので、患者さんの立場に立って、治療はきっちり、損益の計算ははゆるく、です。

専門

眼科手術を専門としております。一発の手術でその人の人生の流れを変えられるような「眼外科医」を目指しています。個人的には眼科手術で一番奥が深いのは網膜、硝子体の手術だと考えており、これに特に力を入れております。しかし、目の手術はなんでも手がけております。

眼科の中の専門といえば緑内障や網膜硝子体や斜視などという病気単位のくくりになっていますが、私は違う考えを持っております。

目はとても小さいです。それゆえ、目の病気はすべてが何らかのつながりを持っており、縦割りでは、ついつい視野が狭くなって、トータルで良い治療ができないと考えています。

たとえば、目の表面の専門をうたう先生が角膜移植後一生懸命に治療してたらいつのまにか緑内障で失明寸前になっていたとか、白内障の専門家をうたう先生が手術のときに吸い取るべき白内障になった部分を網膜の上に落としてしまったのを自分で取りにいけないとか、緑内障の手術のあとで目の中にばい菌が入ってしまって緊急に硝子体というところのお掃除をしなくてはいけないのに、お薬で様子を見てしまってつぶしてしまうとか。

理論的にはそうなれば今度はそれ専門の先生に任せればいいのですが、人間、自分の治療でうまくいかなかった患者さん(たとえ医師の責任ではなく、やむを得なかったケースでも)を他人に見せるのはかなり勇気がいるもので、どうしても次の一手が遅れがちです。ま、これがきっちりできるのが名医ともいえますが。

それに、患者さんの立場にたって考えると、眼科に行って

"あなたの病気はわたしの専門ちゃいますわ"

といわれても、

"おいおい、あんたの専門は眼科ちゃうんか?"

と思うでしょ。

ゆえに、私自身は目のすべてにわたって一流の治療、特に手術治療ができる医師でありたいと日々研鑚を積んでおり、我ながらなかなかいい感じになっていると自負しております。

私は手術が大好きで、自分で言うのもなんですが、かなりいい線いってると思います。なので、私は、「専門は?」と聞かれた場合は、「眼科手術です」と言う事にしています。

手術をいろいろやっているので、白内障の手術で使う、膜を染めて取るテクニックを網膜の手術に応用したり、とか、いろんな手術のテクニックが自分の体の中で融合していいものになっていくのがわかります。

細かく言うと、眼の奥の腫瘍の手術以外はすべて、すなわちまぶたの形成、斜視、目の表面の疾患、白内障、緑内障、網膜硝子体手術を守備範囲としております。その中でも自分で一番奥が深いと思う、網膜硝子体手術に力を入れております。

自己紹介

私はアメリカはマイアミの Bascom Palmer Eye Institute というところに2年半行って、1998年に帰ってきました。ここでの体験が今のすべてのベースになっています。

ここは、常に全米患者さん満足度ナンバー1から3に選ばれるほどの眼科専門病院です。もちろん私は全米No.1にはちっとも貢献してませんが。

アメリカに行く医者はむこうで研究だけをして帰ってくるのが普通ですが、私はそれではもったいないと考え、研究専門であった私のボスに内緒でDr.Scheffer Tsengという、眼の表面の疾患の分野では世界の第一人者といえる方のもとで、2年間臨床(すなわち、実際の病院での治療の現場)のトレーニングを積んできました。ボスがお寝坊さんで、午後2時ごろに出勤してきますので、午後1時ぐらいまで病院に行って、それから研究室に帰って研究していました。

臨床とは外来とか手術とかの、いわゆる皆さんが日常でごらんになる医者の仕事です。研究とは、一部の医者や研究者が、患者さんが見ていないところでしこしこやっているもので、じつはこれも医者の重要な仕事なのです。ま、なかなか両立は難しいのですが。

最初は私の大先輩である現慶応大学眼科教授の坪田一男先生上野の吉野眼科クリニックの吉野健一先生がマイアミにいらっしゃったときにDr.Scheffer Tsengを紹介していただき、その後、Tseng先生自らが主催する麻雀パーティーのインストラクターとして家におじゃまし、その時に頼み込んで外来と手術にださせていただきました。

大学時代麻雀ばっかりやってて、こればっかりは一生役に立たないだろうと思っていたのですが、人生ってわからないもんですね。でも、私はDr.Scheffer Tsengの本当の子分でも何でもなかったので、もぐりで臨床の現場にくいこんできたわけです。

異国の地でもぐりというのはかなりつらいもので、他の医者や看護婦さんや職員さんからおもいっきり白い目で見られました。しかし1年ぐらいたってからはいろいろわかってくるので、態度もでかくなってきます。Dr.Scheffer Tsengの外来に見学に来る世界中の医者に、あっち見てこい、こっちもいいぞ、Tseng先生の治療方針はこうや、とか解説して、う〜む、と唸らせてました。皆、後で私がもぐりだと知って驚いてましたが。かくして、海外もぐり道を極めてきました。

アメリカでの外人、すなわち我々の扱いは、その人の母国の国力をもろに反映しており、日本人は本当にラッキーです。どこにいってもそれなりには大切にしてもらえます。最近の不景気も、同情をかうのにうまく使えます。皆さんも機会があれば、以下の例文を使ってみてください。

Isao, how's economy in Japan? I 've heard it's no good recently.

Right.

Why?

Because politics is no good.

I see............

細かい説明は英語ではきついので、政治が悪いとかなんとか、適当に言っときます。だれでも言えそうでしょ。これだけでよけいに親切にされたりするのでおいしいです。ちょっと景気が良くなってきたので最近は難しいかなぁ。

しかしいつもほんとうのボスにばれないようひやひやもんで、廊下は端のほうを、それこそゴキブリのようにシュシュッと歩き、エレベーターを避けて非常階段を使い、外来が終わった後はトイレで白衣を脱いだりと、ほんと我ながら涙ぐましかったです。白衣とネクタイと革靴でトイレに入って、出てきたときはTシャツと短パンとぞうりだったりして、それを見ていた患者さんもびっくりしてましたが。ともかくも、よく2年間ボスにばれなかったもんです。ばれたら間違いなくクビですから。

ちなみ給料は年収(月収ではありません)1万ドルですから、生活はかなり厳しいものがありました。そういう雰囲気がにじみでてたのでしょうか、病院のまわりを縄張りとするホームレスさん達から、なぜか友達と思われていて、いっつもかなり遠くから、How ya doin', my friend? (調子どないや、仲間) と声をかけられていました。ま、ホームレスさんに「1ドルめぐんでくれ」と言われて、俺にめぐんでくれよ、と返してたらこいつ友達や、と思われるのもしかたないかな。

ちなみに同じ年収の同僚(こばちゃん)は、車を買うときに「収入は」と聞かれて、「1万ドル」といったら月収と勘違いされ、「オー、ドクター、ドクター、テンサウザンド♪」と言って喜んでローンを組んでくれて、あとで年収とわかって、担当の黒人さんの顔が真っ青になってたそうです。こばちゃんいわく、「うそちゃうで、ほんまに真っ青やったんや」(笑)。

ともかく、貧乏でしかももぐりであるという逆境にもめげず、しぶとく超超トップレベルの医療の知識と心構えを吸収してきました。

その中でも特に僕が吸収してきたものは、なんと言っても何にでも諦めずにチャレンジする心構えと、羊膜移植です。Tseng先生が、羊膜移植の自他ともに認める世界のトップなのです。羊膜とはお母さんの子宮の中で赤ちゃんを包んでいる膜なのですが、これに特殊な処理をほどこして眼の表面に移植すると、あれよあれよというまに外傷などが治ってしまいます。この技術を患者さんに還元しています。

それと、流暢とは決して言い難いのですが、英語で診察できます。お知り合いで、日本語の問題でお困りの外人さんとかがおられましたら、お力になれると思います。英語以外はだめですが。

以上、よろしくお願いいたします。

mail: otaka@isao.com

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